Electronics Pick-up by Akira Fukuda

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コラム「デバイス通信」を更新。「エリアアレイ表面実装パッケージ(BGA)のロードマップ」

EETimes Japan様から頂いておりますコラム「デバイス通信」を更新しました。
シリーズ「2022年度版 実装技術ロードマップ」の第65回となります。

eetimes.itmedia.co.jp

今回は従来型の表面実装パッケージを取り上げています。
QFN、QFP、SOPといった本体周辺に端子を配置したタイプ(ペリフェラルタイプ)と
BGA、LGAといった本体底部に端子を2次元マトリクス(行列)状に配置したタイプ(エリアアレイタイプ)があります。

主に取り上げているのはプラスチックBGAです。
モトローラが1990年代始めに開発した、表面実装型としてはたぶん初めてのエリアアレイタイプとなります。
同社は「OMPAC(オムパック)」と呼んでいました。OMPACはOver-Molded Pad Array Carrierの略です。

QFP全盛時代だった1990年代に、BGAの登場は衝撃でした。1990年代に日経エレクトロニクスの記者だった自分は、OMPACことBGAの特集のために米国へ出張しました。
モトローラの開発元はフロリダ州Fort Lauderdaleのぺージャー(ポケットベル)開発部隊だったと記憶しています。正式に日本モトローラに取材を申し込んだところ許可が降りてFort Lauderdaleに行きました。ものすごく暑かったのと、相手が数人で出てきてメモ取りに苦労したこと、相手があまり情報を出したがらないので困ったこと、などを覚えています。

あとユーザー代表としてコンパックコンピュータ(当時は最大手のパソコンメーカー、2002年にHPに吸収される)を取材しました。コンパックの工場はテキサス州ヒューストンにあったかな。日本企業でOMPACを製造している(当時は機密事項)企業の方から、コンパックの技術者を紹介していただきました。始めはコンパック日本法人の広報を通じて取材を申し込んだのですが・・・いつまでたっても進展が見られず。コンパックの技術者に直接連絡して取材の日時を決めました。

そして取材当日。現地の広報担当者が取材に同席しており、まず最初に怒られました。直接連絡するなと。自分は謝罪しつつも日本法人の怠慢について抗議したことを覚えています。ともあれ取材は無事に完了し、ユーザーとしての貴重な情報が得られました。懸念事項だった、ハンダ付けの外観検査が困難であることについても、成果がありました。本当にユーザーってすごいです。

あと覚えているのは、BGAの取材をしていたころに発行された「日経バイト」(現在は休刊)にコンパックマザーボード写真が掲載してあり、そこにしっかりとBGAが搭載されていたことでしょうか。同誌は実装技術に関心がなかったせいか、マザーボードBGAにはまったくふれていませんでした。

あと恨んでいるのは、特集は3部構成だったのを編集部の都合で第3部だけを次号送りにされたことです。これはかなり堪えました。このころから「自分は編集部で便利屋として使われている」という疑問が積み重なることになります。別の事例として9月恒例の「次年度市場展望」特集のキャップだったときに、特集を無理やり引き裂いて2号連続特集にさせられたことがあります。これまでにはなかった異常事態でした。

上記2例をなぜ恨んでいるかというと。いずれも編集上層部の不手際による「穴埋め」に使われたからです。最初の3部構成から2部構成の変更は、次号の解説枠が埋まらなかったためです。

次の「市場展望特集2号分裂事件」はもっと酷く、なんと「次号の特集が決まらない」ために無理やり分割したのです。分割のツケは思わぬ形で現れました。2号連続で特集キャップをやらされたことで、2号目で数字のミスが複数発覚したのです。訂正記事でどうにかなるレベルではなく、その次の号で訂正用シールをお詫びとともに添付するという、悲惨な後始末でした。

盛大な訂正をやらかしてもお咎め(いわゆる処分)がなかったのは、編集上層部の恥が社内に漏れる(処分をすると理由が社内に告知される)のを恐れたからかもしれません。今となっては分かりませんが。


こういった不信感が溜まっていたところに。1997年3月。知る人ぞ知る「日経エレクトロニクス編集部乗っ取り事件」が起こります。いわゆる「日経マイクロデバイス一派」による乗っ取りです。日経マイクロデバイスの編集長が日経エレクトロニクス編集長に異動し、日経マイクロデバイス副編集長1名(ひょっとしたら記者かも)が日経エレクトロニクス副編集長(ひょっとしたら記者かも)に異動という人事が発動されました。当時、日経エレクトロニクス副編集長だった自分は、同じく副編集長だったY氏ともに、「開発部」という共通部門に異動となりました。まあ、追放ですね。

・・・なんか話が無茶苦茶になっているので。いったん打ち切ります。上記のあれこれは忘れていただけると助かります。

実装技術ロードマップの概要解説については記事をお読みいただけるとうれしいです。