Electronics Pick-up by Akira Fukuda

日本で2番目に(?)半導体技術に詳しいライターのブログ

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中学時代で最も大事なのは「2年生」をどのように過ごすか、だと思う(個人的かつ古い意見です。しかも自慢のような何かが入っているというひどい内容)


中学生というのは、たった3年間しかない。1年生は、中学校に慣れるだけで終わってしまう。3年生は公立校の場合は受験勉強があるので、ほかのことがあまりできない。だから、中学生の醍醐味は2年生にあり、2年生をどのように過ごすか、がすごく重要だと思う。


今から振り返ると、中学2年生というのは、最も面白い学年だった。偶然なのだが、教室の隣が図書室だった。たった10分か5分の休み時間でも図書室に行ける(開いていれば)。昼休みともなれば、入り浸りである。


それまでも本は好きなほうだったが、この偶然は決定的だった。なぜだかわからないが、4月か5月に、「1年間で図書室の本を100冊、読んでやる」と決心したのだ。もちろん図書室ではそんなに読めないので、貸し出しを利用して自宅でも読んだ。放課後も閉室時間まで読んだ。中学は受験校でクラブ活動があまりなく、自分もクラブ活動はしてなかった。だから放課後は時間がある。自分の時間のなかで宿題の時間以外はほとんどすべてを読書に充てた。


不思議なことに、興味の赴くままに手に取った本はすべてが面白かった。つまらない本は1冊もなかった。奇跡のような時間が流れていた。読書の楽しみに完全にハマっていたのだと思う。読んだ本の多くは覚えていない。覚えているのは、以下のような本だ。


筒井康隆時をかける少女
眉村卓なぞの転校生
光瀬龍夕映え作戦」
半村良石の血脈
アイザック・アシモフ鋼鉄都市
松下幸之助の伝記
本田宗一郎の伝記
畑正憲「どんべえ物語」
作者不明「死ぬ瞬間」
タイトルを覚えていないが、ジャーナリストが精神病院に入院するというルポルタージュ。あ、「ルポ・精神病棟」かも。


夏休みになったころ。別の野望が心に巣食うようになる。
図書室にはサンケイの「第二次世界大戦ブックス」がほぼ全巻、そろえてあった。
そこで無謀にも「中学2年の間に図書室にある「第二次世界大戦ブックス」をすべて読む」という誓いを立てる。バカですね。しかも理屈がふるっている。「戦争の実態を知らなければ、戦争を批判することはできない」という理屈だ。まさに中二病です。


そこから怒涛の読書進撃が始まる。5冊ずつ、ブックスを借りては読み、返すとまた次の5冊を選んで(興味のおもむくままに)借りる。5冊というのは貸出限度である。貸し出しカードはみるみる埋まり、1枚の表裏がいっぱいになり、2枚目もすぐにいっぱいになった。結局、貸し出しカードは3月までに5枚に達した。1枚で20冊くらい記入できたので、100冊突破はならなかったものの、近い線までは到達したということになる。


第二次世界大戦ブックス」は大人向け書籍なので、戦争の悲惨さに関する描写は遠慮がなかった。「ヒトラー」の巻とか、「アウシュビッツ」の巻とか、内容が容赦なさすぎです。死体の写真だらけで、中学生には辛かった。タイトルあるいは内容で覚えているのは「Uボート」とか、「ロンメル元帥(砂漠の狐)」とか、「猛将パットン」とか、ジェット・ロケット戦闘機とか、原子爆弾の開発とか、電探(レーダー)の開発とか、ゼロ戦の開発とか、タイガー戦車とか、大日本帝国の機動部隊とか、ミッドウエー海戦とか、ヨークタウンの沈没と復活とか、マッカーサー元帥(アイシャルリターンと日本占領)とか、ミサイル兵器のV1号とV2号の開発とか、神風特別攻撃隊とか、特攻兵器(桜花と回天)とか、満州国とか、いろいろです。今思うと、北方戦線、特に「キスカ」を読んでいない。このため、キスカの撤退戦については、いまだによく知らないんです。あ、思い出した。英国本土航空決戦(バトル・オブ・ブリテン)、ノルマンディー上陸作戦(Dデイ)もあった。結局、7割くらいを読んだように思っている。


しかし誓って言えるが、自分はミリオタではない。ミリオタの知識を100とすると、自分の知識はたぶん5くらい。全然足りない。例えば、軍艦の区別とか全然ついてないし。そもそも第二次世界大戦に登場した兵器を格好良いとか、美しいとか、自分はあまり思ってない。美しいと思う方がいらっしゃるのは理解できるが。


言いたいのは、中学2年のときに教室の隣に図書室があったことが、自分の人生を変えてしまったということだ。読書が趣味になり、大人になったら自分も本を作りたい、と思うようになってしまったのだ。


高校は大学の付属高校だったので、受験勉強の必要がなくなった。体力づくりを意識して体育会に入るが、雨で練習が休みのときは図書室に入り浸り。もちろん、図書室の本は借りまくりである。でも、フリーになる気持ちはまったくなかった。一生、サラリーマンで行くつもりでいた。親が自営業で零細業者で水商売で、ものすごく苦労していたのを見て育ったからだ。「自営業よりもサラリーマンが楽」と固く信じ込んでいた(今でも信じているが)。それがなぜか、今ではフリーターである。


あともう1つ。中学2年生のとき、なぜか、同人誌を作った。当時は「同人誌」という単語は知らなかった。気の合う友人同士で寄せ書きのような冊子を作って回覧したというだけのものだ。7名〜8名くらいが参加したと思う。後から、ああ、あれが「同人誌」だったのだなと理解した。テキストあり、イラストありのごたまぜの内容で、1名が2分の1ページを担当したと記憶している。サークル名?もあった。これは明かさない。なぜなら、顔が火を噴くほどに恥ずかしい名前だからだ。いやマジで名前は黒歴史です。というか、言いたいのはそこじゃない。言いたいことは、中学2年生というのは、それだけの心の余裕と時間の余裕があった、貴重な学年だということです。


すみません。与太話が長くなってしまいました。ガチガチのサラリーマン志望者が、なぜかフリーターになってしまう話は長いので、いつかの機会に書きます。たぶん。



ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。


【追記】「死ぬ瞬間」は文庫本で売ってました。終末医療の先駆的名著だそうです。

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

単行本(翻訳本)の初版は1969年でした。
自分の中学2年が1973年(昭和48年)なので、時制はあってますね。
いわゆる「死生観」の書籍なのだと、
大人になった今は認識できます。
中学生にとっては、ただただ恐ろしい本でした(という印象が残っています)。


【追記の追記】「ルポ・精神病棟」で合ってました。電子書籍で復刻しています。

ルポ・精神病棟 電子書籍加筆復刻版

ルポ・精神病棟 電子書籍加筆復刻版

1970年ころの精神医療がいかに杜撰なものかを暴いた、
衝撃のルポルタージュです。
読んだ直後は「精神病院、なんて恐ろしいところ」病にかかりました。
今でも治癒していません(爆)。