Electronics Pick-up by Akira Fukuda

日本で2番目に(?)半導体技術に詳しいライターのブログ

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無自覚な暴君と付きあえるのか(パート3)

パート1のエントリーはこちら。
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パート2のエントリーはこちら。
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再び書いておく。
某出版社某局の責任者がこの一文を読んで、事態の深刻さに気付かれることを祈る。


しかし。期待は大きくない。
遅刻が少々あろうが、下請けをモノ扱いしようが、売り上げを伸ばせるのが優秀な「営業」。売り上げ以外のすべては、些細な問題なのである。そう考える人間が少なくない。



脱線した。申し訳ない。やっと最終回である。今回のテーマは別離への経緯説明。分かり易く言うと「泥仕合」だ。
すでにパート1〜パート2で説明した通り、2006年7月〜8月にかけて急速にトラブルが深刻化していた。そこに一撃を放ったのが「某半導体ベンダーの技術フォーラム」に関する1件である。例年、9月中旬に開催されているフォーラムだ。ここでは「某フォーラム」としておく。


9月初めの金曜日夕刻、某出版社某局広告の担当者M2氏から電話があった。「某フォーラム」から広告企画ウエブ・サイト向けに速報記事を書いて欲しいという。ライター複数名の態勢を組むという。署名記事ではなく、本数はかなり多め。原稿料はかなり低く、要検討の内容だった(少ないと抗議した)。某半導体ベンダーの広告担当H氏はオフィスに不在ということで、翌週月曜日に詳細を担当者から自分に再度連絡するということで保留となった。



翌週月曜日。M2氏およびH氏から連絡はなかった。火曜日にもなかった。
ここでスケジュールが急に厳しくなり、火曜日に「協力できる本数は3本程度かもしれない」とのメールを一応打っておく。返事はなかった。
(原稿依頼はコンスタントに入るわけではない。1日に3本ということもあれば、1週間ずっとゼロということもある)


水曜日午前。依然としてM2氏およびH氏からは連絡なし。ここで某出版社の某ウエブ・サイト編集長から「某フォーラム」の報告原稿依頼が入る。署名記事であり、原稿料で厚遇してくれているウエブ・サイトである。金曜日夜の件の追加連絡がなかったこともあり、某ウエブ・サイト編集長の依頼を承諾する。月曜日に連絡するといっておきながら、ここまで連絡がまったくないので、お流れになったのだろうと推測した。


ところが。午後になって突然、H2氏から電子メールがくる。驚いた。取材セッションと本数が指定してある。本数は6本。こちらが送った電子メールは無視されている。慌てて断りの電子メールを入れる。すると、H2氏から電話がかかってきた。断ったことを抗議され、怒鳴られた。ここで行き違いがあったらしいことに気付く。


自分の見解:金額が合意していないので、正式に受託していない状態である。約束の連絡がなかったので流れたものと思っていた。
相手の見解:金額はともかくとして受託はしている。連絡は遅れたが、それはライターが断る理由としては非常に小さなものである。


ここで重要なのは「報酬金額が決まっていない仕事」は受託の合意と見なせるのかどうかである。自分は「金額が決まってない段階では、受発注の合意はありえない」と考えている。しかし某出版社某局広告では、「金額が決まらなくても相手は受注している」と見なしていたと推定できる。どちらの見解に賛同するかは皆さまの判断におまかせする。下請法に照合すると、どちらが適切かはすぐ結論が出てしまうのだが。


さてこのとき自分は、9月下旬の金曜日に開催される某セミナー(某出版社某局某メディア主催)から、記事体裁広告の原稿をいくつか書くことになっていた。原稿料は過去実績で、すでに決まっている。このとき、某出版社某局某メディア編集部の依頼で、自分は特約記者として海外出張することになっていた。しかし某セミナーの記事依頼が先にあったため、同じ会社の依頼だったので事情を説明し、金曜日の前日である木曜日に帰国することで編集部にスケジュールの調整をお願いしていた。正直、編集部はかなり無理をしてスケジュール調整に取り組んでくれた。


そして海外出張で現地入りした日。某セミナーの件で詳細が来ていないことに気付いた。慌てて広告の担当者M2氏に問い合わせの電子メールを打った。返事が来た。返答はこうだった。
「広告主の意向により、貴殿への原稿依頼はなくなりました。よってキャンセルとさせていただきます」
・・・唖然。過去、広告主の意向を持ち出されたことはセミナー原稿についてはまったくなかった。そしてキャンセルを知らされたのは、こちらが問い合わせの電子メールを出してからだった。本来であれば、キャンセルが決まった段階でこちらに知らせるべきだろう。大変素晴らしい扱われ方である。5日前に、こちらが問い合わせてからキャンセルのお知らせとは。まさに下請け万歳だ。


帰国してから、長時間の自分会議に入った。すなわち、土下座覚悟で謝罪にいくか、このまま袂を分かつか、である。なにしろ相手は、年収の約3分の1を稼がせてくれているお得意様だ。どんな理不尽な対応があろうとも、にっこり笑ってお仕えするのが大人の対応というものだろう。


結局、オトナの対応はとらなかった。袂を分かつ覚悟で、これまでサービスしていた分の請求書を発行した。全部払ってくれた。助かった。例の無料奉仕企画仕事(別冊特集企画:村田製作所分:担当者N氏)もこのとき、いくばくかの報酬を得ることができた。


某出版社某局広告部からの原稿依頼は途絶えた。2006年秋のことである。
そして1年が過ぎた。この間、広告業界の方から、H氏と自分にトラブルがあったことを知っていると告げられたことがある。自分が外部に一切話していない以上、某出版社某局広告部がトラブルの件を、外部に漏らしたことは明白である。担当者H氏の名前が、広告業界の方から出てきたのには本当に驚いた。自分にとっては営業妨害ともとれる、卑劣な行為だ(自分のことをポジティブに評価しているとは、考えられないから)。



某出版社某局広告部とは2年足らずの付き合いだった。いろいろな事を学んだ。
その多くが反面教師的な事柄だったのを、残念に思う。