Electronics Pick-up by Akira Fukuda

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九段下ビルにまつわる4つの物語、コミック「九段坂下クロニクル」


九段坂下クロニクル

九段坂下クロニクル

小学生〜高校生までを自分は千代田区の神田神保町で育ちました。小学生といえばプール、プールで伝染する病気といえば結膜炎です。結膜炎をもらった自分は神保町の眼科(記憶によると島崎眼科)に通っていました。しかしこの病院は、大手書店「書泉グランデ」の拡張とともに閉鎖(移転?)してしまいます。現在、書泉グランデの展望エレベータとなっている位置に眼科がありました。


それで別の眼科に通い出しました。その眼科病院が入居していたのが、九段下ビルでした。九段下の俎橋のすぐそば、地名は神田神保町三丁目なのですが、九段下、と呼ぶ方がしっくりくる場所です。眼科があったのはその、古い古い雑居ビルの2階でした。古びたコンクリート造りの建物で、階段は低く、天井も低い。眼科医院の設備(赤外線ランプ)や道具(金属のお皿とかガラス棒とか)も決して新しいものではなく、建物とよく似合っていました。


でもそこが、今川小路共同建築と呼ばれた由緒ある建物、関東大震災後に建てられた震災対策を兼ねた日本で初めての鉄筋コンクリート造りの共同建築だったとは。恥ずかしながら、まったく知りませんでした。昭和2年(1927年)の竣工です。80年以上を経た建物なのでした。


参考URL
http://maskweb.jp/b_kudanshita_1_1.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%AE%B5%E4%B8%8B%E3%83%93%E3%83%AB


このことを知ったのは、コミック「九段坂下クロニクル」を書店で手に取り、購入し、読んでからです。


九段坂下クロニクル

九段坂下クロニクル



驚きました。そしてあの懐かしい風景が甦ってきました。小学校の黄色い帽子と半ズボンの制服のままで眼科に立ち寄った日々。当時の靖国通りは都電が走っていました。上野公園の前にはトロリーバスも走っていました。それが1970年の万国博覧会を間近に控えた東京でした。


この異色のコミックスの企画は、著者の一人である一色登希彦氏(コミック版「日本沈没」)が九段下ビルの一角を仕事場にしていた縁で始まったそうです。


九段下ビルという名前さえ知らなかったけれど。その建物の独特のたたずまいと雰囲気は今でも心に残っています。小学生のあの当時、眼科が九段下ビルに入っていなかったら。たぶん、こうしてこのコミックを書店で手に取ることはなかったでしょう。


九段坂ビルのことを知ってみたい方。貴重な建築物がすぐに解体されてしまう(例えば、御茶ノ水日立製作所本社ビルのように)ことを残念に思う方。由緒ある建築はできるだけ残すべきだと考える方。神田と九段に住んでいたり、育ったりした方。こういった方々にお薦めします。


関東大震災後の東京の都市計画については、この本も個人的にお薦めです。こちらは文庫です。


東京都市計画物語 (ちくま学芸文庫)

東京都市計画物語 (ちくま学芸文庫)