Electronics Pick-up by Akira Fukuda

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成田空港第1ターミナルの11〜12日(そのに)

前回はこちらです。


地震発生によって地上に避難するように指示が出されました。午後3時半ころだと思います。第5ターミナル、52番ゲート付近には200〜300名と思われる人々が地上に避難しました。航空会社の社員、空港職員、入国管理官なども避難しています。


ふと反対側の第3ターミナルに目をやると、地上に避難した人々が見えました。第3ターミナルはアジア線が多いのですが、こちらは大半が出発済みらしく、人数はこちらよりも少ないようです。



30分、1時間と待ちます。その間に、成田空港中央管理室から何度かアナウンスがありました。建物の安全を確認中であり、確認が完了するまでは屋内に入れないとのことです。避難した人々は携帯電話をいじっていますが、まったくつながらないようです。地震発生とともに離発着が禁止されたらしく、航空機はまったく降りてきませんし、まったく飛び立ちません(あとで、成田空港は閉鎖されたと知りました)。ふだんはジェットエンジンの音がせわしなく響く成田空港ですが、このときは異常に静かな空港になっていました。



待っていると結構に寒いです。断続的に、毛布が配られました。上着をスーツケースにしまったことを後悔しました。少しずつ曇ってきます。雨が降っていなくて良かったです。
そのうち、トイレに行きたくなってきました。係員に尋ねます。地上〜1階の入り口〜トイレまでを保安要員数名が監視し、トイレでの待ち状態がないように、2〜4名くらいずつ、順番に建物に入れていました。順番を待ってトイレに入ります。トイレの前には2階への階段とエスカレータがあるのですが、いずれもテープで封鎖されていました。


だんだん暗くなってきました。午後5時すぎでしょうか。空港バスが2台ほど到着し、その中で寒さをさけられるようになりました。ただし地上にいる避難者全員はまったく無理なので、女性と子供が優先です。
そのうちバスが増えてきて、8割くらいの方がバスに入れるようになりました。それとほぼ同時に、建物の1階部分だけは入れるようになりました。ただ1階部分は非常に狭いので、バスの中に入る人はそのまま残るように指示されました。これが午後6時すぎくらいだったかと(時間はあいまいです。すみません)。このときに雨が降ってきました。運がよかったです。


それからバスが移動し、すぐちかくにあるバス用駐車スペースでとまります。ここは屋根があって、雨にぬれずに建物に入れます。バスに残っているとANAの職員が状況を説明にきました。安全確認が終わっておらず、2階にはまだ上がれないとのことです。車内には外国のお客さんもいるので、英語でも説明するようにお願いしました。そしたら英語の説明では「キャンセルの可能性がある」と。ここで初めて、キャンセルの可能性に気付きました。情報が入らないので、事態をそれほど深刻には考えていませんでした。


バスを出てトイレにいくと、1階の出発ロビーは床にすわったり、ねそべったりする人でいっぱいでした。柱や壁のコンセントは携帯電話機やパソコンの充電プラグで満杯です。トイレに出たあと、ロビーを見渡すと公衆電話があり、人がならんでいます。公衆電話だとつながるんだ、ということで自分も並びます。公衆電話でようやく、家族と連絡がとれました。



午後7時〜8時くらいでしょうか。ジュースとスポーツドリンク、クッキー、いなりずし、巻きずし、などが配られます。ロビーにはテレビが1台ありますが、音声が小さくてよく聞こえません。でも巨大な津波が太平洋沿岸を襲ったことや、首都圏の鉄道が止まっていることは分かりました。


午後9時すぎ。この出発ロビーの搭乗ゲートから出発の予定だった、中国国際航空の北京行きが出発することがアナウンスされます。一方で日本航空全日空、デルタはすべての便がキャンセルされました。
午後9時半すぎ。北京行きが出発しました。ロビーのお客さんの大半が出発したことで、ようやくロビー内が空きました。


午後10時すぎ。2階の安全確認完了がアナウンスされました。2階に移動します。(続く)


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