Electronics Pick-up by Akira Fukuda

日本で2番目に(?)半導体技術に詳しいライターのブログ

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編集職場の20年、労働環境は確実に悪化し続けた(そのに)

そのいちのエントリー
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新卒で入社したこの会社は、大手経済新聞社と米国大手出版社の合弁会社だった。
社員の待遇は親会社の大手新聞に準じていたので、世間相場から見ると相当に良かった。
さすがに社用車(新聞社の旗を立てて走る黒塗りのクルマ)はなかったし、社員食堂はなかった。それでも給料は大手新聞社なみ、健康保険は大手新聞社と共通、出張規定もほぼ共通といったあんばいだった。


特に優遇されていたのが出張規定である。国内出張の鉄道は新幹線を除くとグリーン車が認められていた。そして海外出張はビジネスクラスの使用が認められていた。20代の若者がビジネスクラスで出張というのはすごいことだ。私の同期がある国際学会を取材するために米国行きの便でビジネスクラスに乗っていたところ、偶然大学の恩師が同じ便に乗っていたことがある。恩師はエコノミークラスだった。


といっても、出張は原則一人で、現地で何かあってもすべて一人で対処しなければならない。エレクトロニクス企業や大学研究室などの出張では、2名以上で動くのがふつうだ。これは実際に動く立場からすると、大きな違いである。正直な感想は米国出張だとエコノミーはきついけど、ビジネスだとどうも贅沢すぎて心地が悪い、といったところだった。今だと全日空にプレミアムエコノミーというビジネスとエコノミーの中間のクラスがあるが、このあたりが身分相応に見える。


ビジネスの規定が有名無実になっていったのが、1990年代だったかと思う。このへんの記憶はあいまいなので、正確な時期はかんべんしてほしい。
始まりは、出張予算の少ない編集部が、出張回数を稼ぐためにエコノミークラスを使い始めたことだったと思う。米国線と欧州線でもエコノミーで編集者(兼記者)を出張させ出した。本来ならば出張規定違反なので問題となるはずが、ほかの編集部もこれに追随したのである。続々とエコノミークラスで社員を米国や欧州に送り出すようになった。


米国や欧州のイベントが重要になり、海外に社員を送りだす必要性が高まったことが背景にはあった。予算は決まっているから、取材イベントを増やすためにはビジネスをとりやめてエコノミーにして回数を増やすのは一理ある。しかも安チケットならば、ビジネス1回分でエコノミー3回は堅い。出張規定を無視しても罰則はない。というわけで赤信号をみんなで渡りだしてしまった。


ここで問題となったのが、出張日程のきつさである。米国に到着後、すぐに取材するといった強行日程が、ビジネスの時代と同様に組まれていたりしたのだ。エコノミーで行くのであれば、当然疲労度が違う。日程をゆるやかにすべきなのだが、予算低減優先の風潮が強く、そうはならなかった。結果として労働強化になってしまった。


そして2000年ころには、出張規定の方が現状に合わせて変更された。エコノミー出張の追認である。古き良き時代がまた一つ、消滅したときだった。