新聞、テレビ、雑誌、ウエブマガジンなどのマスコミ(プレス)の記者は原則として、取材先に謝礼を払わない。
取材という行為は商取引に例えると仕入れに相当する。新聞社や出版社などは、取材によって原材料を仕入れて独自に加工し、製品(記事や番組など)として売る。加工貿易と似ている。
このように考えると、仕入れに代金を払わないのは異常である。
米国に出張したときにプレスにたずねてみたが、特別な場合を除き、謝礼を払わないことの方が多いというコメントを得た。取材に謝礼を払わないのは、日本に限らない。
謝礼、または代金を払わずに仕入れをしても許されるのはなぜか。
ニュース番組を作ったり、記事を書いたりする行為には、通常のビジネス(金儲け)とは違う、別の価値があると社会が認めているからだ。言い換えれば、社会に貢献していると認められているし、社会に貢献することが求められている。
それは、政治家の腐敗や企業の違法行為を摘発するといった社会正義的報道だけではなく、特定の職種や業種に属する人々が求める情報を提供する報道も含まれる。ここで大切なのが、記事の視点と姿勢である。どの地点からどの方向に何を叫んでいるのか、が問われる。
不思議なことに、この稼業を長くやっていると、記事の文章からはいろいろなことが読み取れる。特に生の原稿からは著者の感情までもが伝わってくる。デスクがあまり修正しなかった原稿の場合は、雑誌やウエブマガジンなどの記事の文章からでも分かることがある(デスクの修正が大幅に入ると大概は文章が死に体になるので、物凄い修正があったときはそれも分かる)。
視点で最も重要なのは「問題意識」だと思っている。問題意識を持つには、視野の広さが欠かせない。空間的な広さと時間的な広さである。あるテーマについて過去の経緯を知っておくことは当然の行為だし、知る努力をせずにすませておくのは怠慢だし、給料泥棒だし、ジャーナリスト失格だ。あるテーマと周辺のテーマの関わりについて調べておくことも欠かせない。
姿勢で最も重要なのは「謙虚さ」だと思っている。謙虚さとは準備とフォロー(予習と復習)の労を惜しまないことだ。プレスの人間は取材対象についてほんの少しのことしか知らない。だから、予習復習が欠かせない。例えば企業の人間をインタビューする前に、その企業のホームページを読んでおくことは当たり前だし、企業の記者発表後に企業がどの程度の情報をホームページに載せているかをチェックするのは当然の義務である。やらないヤツは、すぐに退職届を出すように。
繰り返しになるが、テレビ会社や新聞社、出版社、ウエブマガジンなどは金儲けが目的で存在が許されているのではない。金儲け以外の付加価値が存在するから、社会から認められているのだ。