自分が考える世代間格差とは、荒っぽく言ってしまうと
中高年=幸福な世代、若者=不幸な世代、となる。
親の資産の大小が絡むので「世代間対立」とまでは言えない。
しかし複雑かつ厄介な問題であるとの認識はもっていた。
もう少し厳密にくくると、1991年のバブル崩壊前後に社会人になれたかどうかが、大きな分かれ目になる。
バブル崩壊前に社会人になった世代、おおむね1960年代以前に生まれた世代は「幸福な世代」と言える。戦後団塊世代は特に、幸福度が高い。戦前世代と違って「空襲」や「学徒動員」を知らずに育ち、男子は正社員で就職し、「結婚してマイホーム購入」、「定年退職による満額の退職金」、「払った額よりも多くの年金を受け取り」といったキーワードに包まれた世代である。1960年代生まれもバブル期に就職できており、その後のバブル崩壊をみて「少し早く生まれていて良かったとほっとした」世代である。
一方、バブル崩壊後に社会人になった世代、おおむね1970年代以降に生まれた世代は「不幸な世代」と言える。子供時代は団塊世代に比べると裕福なのだが、社会人になるステップで厳しく理不尽な現実に直面する。企業が新卒採用を著しく抑えたため、「正社員になれる比率が大幅に低くなって」しまったのだ。特に1970年代前半生まれは、バブル崩壊直後の新卒採用抑制の影響をまともに受けている。新卒時に正社員として採用されず、それから10数年。今、30代となった人間の叫びがここにある。是非、一読して欲しい。
赤木智弘氏、論座2007年1月号掲載
「「丸山眞男」をひっぱたきたい:31歳フリーター。希望は、戦争。」
http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html
(注:このエントリーは池田信夫氏のブログで知りました)
この一文を読んだあと、自分の認識が甘かったことに気付いた。若者=不幸な世代のキーワードに「年金崩壊」を入れていたのだが、それは将来のことと考えていた。しかし彼のように正社員になれなかった者は当然ながら、「厚生年金」とは無縁だ。国民年金だけで老後の生活が賄えるはずがない。非正規社員の年金はすでに崩壊している。
もっと酷いのは、彼等の尊厳が崩壊しており、潰されて続けていることである。人間は誰しもプライドがある。尊厳が踏みにじられている(と感じる)状態が長く続くことは耐えがたい苦痛だ。
彼等に対し、「自己責任」や「努力不足」などの安易な言葉を投げるのは筋違いだ。彼等にはそもそも、機会(正社員になる機会)が与えられていない。それは本人の努力とは無縁の、本人にとっては不合理な、受け容れるのが極めて苦しい現実なのである。
そして漠然と考えていた「バブル崩壊(不況)」→「非正規社員の増大」→「社会不安」→「戦争への期待(状況の劇的な変革への期待)」という道筋が、この一文にははっきりと見えている。昭和初期の大不況の中、就職できない若者が続出した。社会不安が生じた。農村部は貧困に喘いだ。それをいくばくかでも救ったのが、中国への侵略戦争と満州国だった。
論座1月号の一文に4月号で識者がコメントを寄せた。それに対して赤木氏が書かれた一文も読んで欲しい。
「けっきょく、「自己責任」 ですか:続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで─」
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html
内容は過激であり、さらなる批判を生むことは容易に想像がつく。だが、たまたま運が良い時代に生まれて安定な生活を送り、テレビを見ながらフリーターやニートなどに対して「自己責任」や「努力不足」とうそぶく多数の人々(既得権を獲得し、それを絶対に失いたくない人々)をストレートに憎む、その感情の背景は理解できる。
社会の安定とは、つまるところ、「既得権を獲得していてそれを絶対に失いたくない人々」が多数派であることから維持されるのだろう。そう考えると哀しくもある。
追記:赤木氏の本が出るようです。出版記念ブログができてました。
http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/
さらに追記:玄田有史氏の著作「仕事の中の曖昧な不安」が過去に、
同様の問題(中高年の雇用を確保して若年層を切り捨てたこと)を指摘しています。
お薦めです。