Electronics Pick-up by Akira Fukuda

日本で2番目に(?)半導体技術に詳しいライターのブログ

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言葉が通じなくても通じるものはあるし、日本語が話せても話がまったく通じないという事実

経験的には「話せば通じる」は嘘だと思っています。
現実には「話せば話すほど、通じなくなる、食い違っていく」ではないかと。
でもこれは悪いことではなく、「このヒトとは話してもお互い分かり合えないんだな」ということを認識させてくれるという意味では良いことだと。
通じないヒトとは、通じないという前提で話すようにするし、できれば、なるべく関わらないようにするので。


昔は「話せば通じる」という理想を信じていたのですが。
年齢を重ねるほど「話しても理解できない相手は存在するし、自分を誤解したままである他人もまた存在する」ということが分かってきました。
言い換えると「自分もまた他人のことを理解することはきわめて難しい」という事実認識に至ったということでもあります。
他人のことを分かった気でいてはいけない。そんなに簡単な存在ではない。他者は。


でもほんの一部だとしても、通じれば、うれしい。とてもうれしい。
少しでも通じる相手を増やすためには、何をすべきか。
言葉を選ばなければいけない。
言葉を丁寧に使わなければならない。
言葉を惜しんではいけない。
同じことの繰り返しを疎んではいけない。大事なことは何度でも繰り返す。一度で通じるなどと思ってはいけない。


それでも。すぐ通じる相手と、まったく通じない相手の両方が存在してしまうことも、また、事実。だからと言って、通じない相手に対してマイナスの印象を持つのは間違いでしょう。
自分の言葉が、表現が、技量が、不足している可能性は十分にあるからです。
通じないことを事実として受け止めるが、プラスやマイナスといった良し悪しの評価はしない。その方がストレスなく生きていけます。


一方で。言葉がなくても通じる相手は存在します。それもヒトではなく。
12年ほど前から、わんこと暮らすようになりました。
7年ほど前からは、にゃんこと暮らすようになりました。
彼らは人間の言葉を話さない。当たり前ですね。
でも、不思議なことに、意志は通じるのです。
意志の疎通が現実にあります。
自分の思考や意志などが伝わるだけでなく、わんこやにゃんこの意思も分かります。ある程度は。不思議なことに。分かる。
彼らには感情があります。それも、ある程度は分かります。


いや、間違ってました。わんこ、あるいは、にゃんこと暮らしている人にとっては、意志が通じることは不思議でもなんでもない。当たり前のことではないかと。
逆に、わんこ、にゃんこ、と暮らしたことのない人には、コレはなかなか理解できない。
自分がそうでしたから。理解できないのは、仕方がないことだと思っています。
いや、本当に、真剣に、これは理解不能の世界ですよ。わんこと話が通じる?
嘘でしょう。相手は人間じゃないんだよ。犬だよ。犬と話ができる? ありえない。
昔はこんなふうに思ってました。世界を。自分のいる世界を。


ところが。とんでもない間違いでした。自分のいた世界は狭かった。
わんこと暮らすことで、自分の世界は広がりました。
にゃんこと暮らすことで、自分の世界はさらに広がりました。
彼らの魂は、人間と変わりありません。何も変わらない。
彼らの命も、人間と変わりありません。何も変わらない。
人間が決めた仕組み(法律や制度など)が、彼らを人間とは別にしているのに過ぎない。
法律ではペットは「物」です。所有物。家具と同じ。
わんこやにゃんこが家族になっている人にとっては、家族が家具と同じであるはずがない。
当たり前です。椅子はこわれたら修理したり、買い替えたりしたら、それで済む。
しかし命は一つ。魂は一つ。代えられない。代替できるはずがない。


2014年1月24日未明。自分の世界を広げてくれたわんこ「こーじ」が旅立ちました。3カ月の闘病生活の末でした。
2014年4月30日夕方。自分の世界をさらに広げてくれたにゃんこ「クレア」が突然、旅立ちました。心臓麻痺でした。


人間の言葉がなくても、意志が通じることを、こーじとクレアは教えてくれました。
かけがいのない、家族。かけがえのない、自分の子どもたち。
いろいろなことを彼らは教えてくれました。
そして最後に、かけがえのない家族を喪うことの悲しみと感謝を教えてくれました。


「こじくれワークス」は彼らを忘れないために作った名称です。
忘れない。絶対に。忘れられるはずが、ない。
ありがとう。


アニマルコミュニケーター・アネラのお仕事 犬のことば、伝えます

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