Electronics Pick-up by Akira Fukuda

日本で2番目に(?)半導体技術に詳しいライターのブログ

日経エレクトロニクスの編集長が交代

10月1日付けで日経エレクトロニクスの編集長が交代することになった。
9月30日付けで編集長を退任する浅見直樹氏が同誌のホームページにメッセージを寄せている。5ページにおよぶ長い原稿である。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL_LEAF/20050930/109100/


浅見氏が日経エレクトロニクス編集部に配属されて最初に手掛けた特集「実用期に入ったファジィ理論」(1987年7月27号)は,先輩記者である稲葉氏との共著だった。表紙写真は仙台地下鉄の駅で、開通直前に撮影に行かれたと記憶している。
記者としての浅見氏はきわめて頭の回転が速く、すばしっこかったとの印象である。一時は同僚だったにもかかわらず、浅見氏と取材に同行したことは一度しかない。確か、富士通のコンピュータの取材だった。浅見氏の質問のテンポが速くて途中からついていけなくなった・・・とほほ。


TRON関連では2本の特集が掲載された。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL_LEAF/20050930/109100/?P=2


「トロンの光と影」(1990年5月14日号)では、坂村氏から厳重な抗議がきた。キャップである古沢記者の元に直接、坂村氏から電話がかかってきた。編集部員が見守る中、古沢氏が長時間にわたって坂村氏と電話でやりとりしていた光景が記憶に焼き付いている。



そして浅見氏は2代目のシリコンバレー支局長として米国駐在となり、インテルマイクロソフトをウオッチするようになったと記憶する。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL_LEAF/20050930/109100/?P=3

私にとってはPentiumProの記事よりも、マイクロソフトの次期OSに関する記事(確か正月の号だったような・・・)を何となく覚えている。



日本に戻った浅見氏は副編集長となり、テレビゲーム機の取材を通じて久多良木健氏とのつながりを深めるようになる。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL_LEAF/20050930/109100/?P=4


久多良木健氏のクレーム対応というマイナスのスタートから、「以後,私は新しい雑誌が印刷所から編集部に届くたびに,自分の足で久多良木氏のオフィスまで最新号を運び続けた。」という件はまったく知らなかった。和解まではかなり精神的にきつかったのではないかと思う。


そして浅見氏は、日経エレクトロニクスの21世紀で最初の編集長となる。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL_LEAF/20050930/109100/?P=5

彼の元で日経エレクトロニクス誌はモデルチェンジし、ウエブ・サイトはフルモデルチェンジした。それぞれ大きな成果を収めた。
創刊900号(2005年5月23日号)のモデルチェンジは、発行人を兼務した浅見氏の陣頭指揮で実施された。そのわずか半年後の退任は、モデルチェンジの成果を観測する期間としては短すぎるように思える。ちょっと残念である。


間違いないのは、浅見氏は「浅見氏が看板の日経エレクトロニクス」と呼ぶべき一時代を築いたことだろう。あちこちの機会を捉えて日経エレクトロニクスをアピールした功績は小さくない。


編集長はものすごくきつい、ものすごく楽しい仕事である。
浅見さん、長い間ご苦労様でした。


そして新編集長の望月さん、楽しみにしております。陰ながら応援しております。
あ、そうだ。最初のブログのタイトル予想「編集長、最初の日」(笑)。