Electronics Pick-up by Akira Fukuda

日本で2番目に(?)半導体技術に詳しいライターのブログ

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コラム「デバイス通信」を更新「創刊前の20年間(1985年~2005年)で最も驚いたこと:「高輝度青色発光ダイオード」(後編)」

EETimes Japan創刊20周年特別寄稿の第4弾(最終回)が掲載されました。
コラム「デバイス通信」の第503回を兼ねております。

eetimes.itmedia.co.jp

「高輝度青色発光ダイオード(LED)」編、後半となります。
名古屋大学の赤崎勇氏と天野浩氏が1986年に窒化ガリウムの単結晶成長に成功してから、2014年にノーベル物理学賞を受賞するまでを描いております。
日亜化学工業中村修二氏が窒化ガリウムLEDを手掛けるのが1989年のことです。中村氏も2014年のノーベル物理学賞を共同受賞しています。


本寄稿でも述べていますが、自分は「高温超伝導」のニュースや解説などに関わっていたほか、超伝導を専門とするメディアの編集部に異動していました。
青色発光素子の動向にはすっかり疎くなっており、総合エレクトロニクス技術誌に戻った1992年10月以降は発光デバイスは担当せず、実装技術を主に担当しています。

なお本寄稿では現存する出版社とメディアであることを考慮し、固有名詞を使っていません。
ここはブログなので、固有名詞の制約を外し、どんどんぶっちゃけます(爆)。
出版社は日経マグロウヒル社(現在は日経BP社)です。
メディアは総合エレクトロニクス技術雑誌が「日経エレクトロニクス」(当時は隔週刊誌、現在は月刊誌)、半導体技術雑誌が「日経マイクロデバイス」(月刊誌、休刊)、超伝導専門ニュースレターが「日経超電導」(隔週刊誌、休刊)となります。


日経産業新聞」は自宅で購読していました。1993年11月30日付け朝刊(といっても夕刊はない)のトップを見てすごく驚き、編集部にすっ飛んでいきました。
日経エレクトロニクス編集部で真っ先に動いたのは、仲森記者です。
仲森 智博 | メンバー紹介 | 株式会社観濤舎
仲森記者は1989年に沖電気工業(基盤技術研究所)から日経BP社に中途採用で入社してきました。最初の配属先が「日経エレクトロニクス」です(厳密には「日経エレクトロニクス」の編集長などが面接して採用を決めています)。「すごい人が入ってきたなあ」というのが自分の感想です。
当時の編集部は「社会人中途採用者(基本的にエンジニア採用)」と「新卒採用者」(自分も新卒採用)で構成されていました。
エンジニア経験者は全員が元「中の人」なので「とても敵わないな」というのが当時の印象です。


でもって仲森記者は新聞記事にあって「日亜化学工業」に電話して取材の約束を取り付け、あっという間に徳島県阿南市日亜化学を訪れて中村氏を取材し、サンプルを持ち帰って来ました。そしてすぐに「中村さん専任担当者」とでも言ったらよいのでしょうか。日亜化学と中村氏は、仲森記者の領地(編集部ではほかの記者が勝手に連絡してはいけない取材先のこと)となり、日経エレクトロニクスは「中村さん素晴らしい」「中村さんスゴイ」といった論調に染まっていきました(個人の感想です)。自分は特定の個人を礼賛するのは報道記者・技術記者の職業倫理に反すると考えていたので、当時の編集部の雰囲気にはかなり違和感を覚えました。

一方で赤崎・天野グループと豊田合成の研究開発業績については、あまり記事として取り上げていないように感じました。

そこで本寄稿の執筆前には、赤崎・天野グループはもちろんこと、発光ダイオード(エレクトロルミネセンス)の原理発見にまで遡って調べることにしました。

調査結果の一部が歴史年表の前半となります。
image.itmedia.co.jp
窒化ガリウム(GaN)系青色発光の研究成果では、RCAマルスカ氏とパンコフ氏のMIS型発光ダイオード(1971年)が重要です。1970年代前半のGaN研究ブームは彼らの業績が引き起こしたとみなせます。米国では「両氏がノーベル物理学賞に選ばれなかったはなぜだ」といった論調の技術ジャーナル記事も拝見しました。

さらに調べていくと、窒化ガリウムと窒化インジウムの混晶(GaInN)に関するNTT松岡グループの業績に突き当たりました。
そこから、歴史年表の後半が大きく修正されています。
一部の研究者から「なぜ松岡氏がノーベル物理学賞に選ばれなかったのか」という疑問が出てきたのもうなずけます。
一方で選ばれなかった理由に「室温発光素子が作れなかったから」が挙げられており、それももっともなことです。


さらにさらに調べていくと、興味深い記事(酒井先生のご寄稿)を日経クロステックで見つけました。
最終回:GaN系青色発光ダイオードの発明について | 日経クロステック(xTECH)
最終回:GaN系青色発光ダイオードの発明について(2ページ目) | 日経クロステック(xTECH)
特に興味深いのは以下の部分です。
「1988年に筆者(酒井先生)が徳島大学に赴任することが決定したのを機に,日亜化学工業でGaN LEDの研究を開始することになった。そこで,V族原子(窒素)の空孔が問題であればV族原子で埋めればよいという発想から,P(リン)やAs(砒素)を添加したり,C(炭素)で埋めればよいアクセプタになるかもしれないと考えた。これらのことを日亜化学工業に提案し,同社で試みた。さらに,成長温度を下げるため,有機窒素化合物をアンモニアの代わりに使うことも提案し,同社で実行した。」
「3元混品の作製については,2元の多層薄膜で代替するため,多層薄膜が形成できる特殊なMOCVD装置を1988年に設計した。この装置を発展させて,中村氏はツーフロー型のMOCVD装置を開発したのである。」
ものすごく抽象的な表現です。含みがあります。


すみません。蛇足でした・・・。