休刊していた月刊アスキーが「新装刊」と称して再刊された。
予定されていた休刊であり、モデルチェンジである。
http://monthly.ascii.co.jp/
月刊アスキーは「ascii」となり、パソコン誌からビジネス誌へとモデルチェンジした。最初の号である2006年12月号の新聞広告を見た瞬間、初代「週刊アスキー」のことを思い出した。1997年に創刊され、わずか18週(通巻18号)で消えた週刊誌である。偶然にも初代週刊アスキーの最終号を保存していたので、書店で月刊アスキー2006年12月号を購入し、両者をちょっと並べてみた。
左は2006年12月号月刊アスキーの表紙、右は1997年10月6日号(最終号)週刊アスキーの表紙
左は2006年12月号月刊アスキーの目次、右は1997年10月6日号(最終号)週刊アスキーの目次である
初代「週刊アスキー」は、表紙と裏表紙の区別がないという、画期的なスタイルの週刊誌だった。左起こしの縦書き表紙と、右起こしの横書き表紙があり、縦書きと横書きが半分ずつという台割りである。扱っている内容は一言では難しいが、乱暴にいうとPC業界とIT業界中心のニュース誌だろう。ボリュームはビジネス系のニュース週刊誌としては破格の厚みがあり、それでいて経済誌より安価な350円(税込み)という価格設定だった。
元祖週刊アスキーの表紙を開いたところ。左が縦書きの表紙、右が横書きの表紙
しかし、雑誌ビジネスとしては大失敗だった。広告がまったくといってよいほど入らず、部数は目標を下回った。この年、日経新聞には株式会社アスキーが週刊誌の創刊と休刊に伴い、7億円の特別損失を計上したとの記事が掲載された。この記事は強く記憶に残っている。なぜかというと当時、日経BP社で「IT系の週刊誌」開発プロジェクトが進行していたからだ。
週刊誌ビジネスは過酷である。単純計算でも月刊誌の4倍の造本配送費用が毎月、振りかかってくるのだ。そして部数と広告の関係がまた厳しかった。「10万部の週刊誌」は広告媒体としてはまったく意味がないのである。10万部の週刊誌は、毎月、40万部以上を刷る。40万部の月刊誌と同等以上のコストがかかる。それでも広告は入らない。広告を入れるには30万部〜40万部が必要だというのが日経BP社での結論だった(週刊誌となった日経ビジネスは30万部超である)。
それでも初年度には広告はほとんど入らない。新規参入媒体にすぐ広告を入れるクライアントはほんのわずかである。試算では、初年度の収支は5億円〜10億円の赤字だった(アスキーの特損がこの範囲の数字であったために、非常に驚いた)。結局、3号程度の試作版を作った後、開発は中止された。これだけの赤字予算を受け入れることは、日経BP社の当時の経営陣にはできなかった。初代の週刊「日経エンタテインメント」で年間数億という赤字を出していたことが経営判断に響いたかどうかは、一社員の身には分かりかねた。
良く分かったのは、新しい雑誌を試みるときに週刊誌というスタイルはあまりにリスクが大きいという事実だった。失敗すると(しなくても当初は)膨大な赤字が急速に積み上がってしまう。月刊誌はその点、リスクが低い。スタートしやすい。事業として成功してきたら、隔週刊にすることでさらに事業を拡大できる。別に月刊のままで広告の分だけ厚くしても構わない。
今、なんとなく思うのは、週刊アスキーがパソコン総合週刊誌として復活し、雑誌ビジネスとして成功したことが、月刊アスキーのパソコン誌としての役割を終えさせたということだ。パソコン誌は現在の週刊アスキーで十分だとも言える(少なくとも株式会社アスキーにとっては)。
そして元祖週刊アスキーの経験は、新しくなった月刊asciiに生かされているようにみえる。失敗は貴重な財産なのだ。
月刊ascii初号でとても良かった記事
・ブログ感度上場企業ランキング500社
・ロングインタビュー 原丈人 氏
→このインタビューは次号に続くので、たぶん次号も買うと思う。
こまったのは目次のデザイン。全体的に文字が小さめ。2頁目の文字は小さすぎて読むのに努力が必要だった。もっと中身を読みたくなるデザインにして欲しいなあ。